連結経営インタビューA
長崎大学教授 藤野哲也先生
【日本企業のグローバル展開】
■今日、市場のグローバル化に伴ってグループ経営もグローバルであることが当然だと思います。そこでまず、日本企業のグローバル展開について簡単にご説明いただけませんか?
日本企業の多国籍化というのは、1960年代に米国企業がやってきたことに奇妙にも似ています。1960年代の米国が抱えていた問題に、当時のEECがありました。EECが1950年代後半に設立され、1960年代に活動を開始してヨーロッパが地域経済圏として自立を始めたときに、米国は巨大な米国国内市場以外の海外市場にどう対応するかを迫られました。この頃から米国企業の多国籍化が始まりました。
それから30年後、市場のグローバル化が1990年代あたりから急速にいくつかの要因で展開するようになりました。それに伴い、日本では企業の多国籍化とグローバル化が1990年代に同時に起きたのです。米国の場合は多国籍化が1960年代に終わっていて、地域のマネジメントにどう対応するかというのは1960年代以降、紆余曲折ありながら1990年代のグローバル化に対応してきました。こういった面でフェーズの違いはありますが、市場のグローバル化に対応しているという点では、日本も米国も同じであるといえます。この点では、日本が単純に米国から30年遅れているということはなく、同じ土壌で競争をしていると言えます。
■日本企業のグローバル展開に特徴的なことはありますか?
もともと企業は、国内市場だけに集中しているのが楽です。それは日本企業も欧米企業も同じです。国内で製品開発し、製品化して売る、そうして製品として固まったものを海外へ持っていく。バーノンのプロダクト・サイクルというものです。欧米企業もそのようにしているわけですから、一般的なイメージとして定着している国内中心型である、いうことは必ずしも日本企業の特色ではありません。
海外事業への展開ということから言うと、一般に三つの選択肢があります。
@ 輸出で攻める
A ライセンスを共有する
B 海外投資をして現地生産をする
結果で言えば、欧米企業は早い時期から海外生産を、日本企業はギリギリまで輸出で対応して貿易摩擦など相手にトリガーを引かれると、渋々出て行くという感じです。これは企業の合理性から見て、まず国内で足元を固めてそれから海外に出るということ以上に、もう少し違う要因があります。
研究面ではいろいろな調査がありますが、米国企業が欧州市場へ進出するのと、日本へ進出するのでは差があるのです。それはやはり、同じ企業が海外展開するときに、欧州に進出する時には現地生産を志向するのに対し、日本への進出の際にはライセンスの共有を志向するというような部分があります。これは企業のビヘイビアから説明されるのではなく、市場の要因、日本の規制などがメインだと思います。
一方、日本企業が海外進出する際にはどうなのかというと、先ほども言いましたが、欧米企業も日本企業も国内のほうがやりやすいし出たくないのです。それにもかかわらず違いが欧米企業と日本企業に違いが生じる背景には、ノウハウの持ち方のようなものが明示的か、あるいは暗黙的かという違いがあります。特に生産のノウハウという部分が、日本企業の場合はどちらかというと労働者に依存する部分が高いものですから、現地の人をうまく使えないとできません。もちろん装置産業型だとある種の設備を入れてしまえば極端な差はでないのかもしれませんが、組み立て加工産業のようなものは現地のブルーカラーをうまく使いこなせないとうまくいかないのです。そうすると、どうしても日本企業のノウハウというものは、やってみせるという形でしかなかなか伝達できないものですから、次々と入ってくる新入社員たちが慣れるという形で職場ごとに継承されていくのです。ですから日本企業が海外進出する場合、欧米企業と違う形で顕著に現われるのは、大量の現地のワーカーを日本に連れてきて、3ヶ月から6ヶ月の訓練をし、逆に日本から大量の海外駐在員、それもホワイトカラーではなくて現場の班長レベルの人たちを大量に送り込むのです。そして手取り足取りノウハウを伝達するのです。となると、こういった方法を世界50カ国で同時に行うというのはできません。こういった企業文化とか日本の特殊性というものが、日本企業のグローバル展開の特徴に絡んでいるのだと思います。
■今、藤野先生からお話いただいた点は、日本企業のグローバル展開が始まった当初はそうだったかもしれません。しかし、考え方としては地域に密着したようなマネジメントをやっている企業は多いと思います。日本企業が海外に生産拠点を持つということで変化のようなものがあるような気がします。日本企業のグローバル化が始まった10年前から比べて変わってきた点についてもう少しお話いただけないでしょうか。
日本企業は現地主義ですから、むしろ欧米企業が任せないような範囲まで現地に任せてしまっています。赤字でなければいい、と。配当でもしてくれれば御の字だ、と。そういう丸投げ経営というのが、日本の海外事業の初期です。それはおおよそ東南アジアや中南米地域で行われ、いわゆる発展途上国が輸入障壁・輸入代替政策をとっていて、関税障壁で国内市場を守ってしまい、輸出では入れませんから現地に行かざるを得ないという形で海外進出をしているところが多かったのです。したがって、一国の市場規模はとても小さいものでした。さらに、各々の国で関税障壁がありますから地域間での取引もやりにくく、それぞれの国に工場を建設しなければならないというスタイルをとらざるを得なかったのです。そういう国では規模の経済も働きませんし、ローカル価格で売れればいいというスタイルでやっていくことになりますから、ほとんど本社の経営と関係がなくなります。ですから、本社としてはリスクもとりたくないですし、100%子会社ではなく現地の商業資本などと、「技術は出すから、生産も人を出して指導するから売るほうは任せる」というスタイルをとっているところが多かったのです。こういう面から言うと、経営の現地化というのは実は昔のほうが進んでいたと言えるのです。経営者が現地化している比率というのは、むしろ昔のほうが高かったのです。もともと現地での経営について興味も薄く、合弁でやっていたわけですから、ローカルのDirectorなどは数多くいたのです。本社では、社長は海外事業部長くらいしか知らないという感じだったのです。
しかしそれがここ10数年、市場経済化・グローバル化が進んできたときに、各国が市場経済化を図ることのほうが経済発展にとってプラスであると、関税障壁をどんどん下げるというモデルが主流になってきました。そうして規模の経済が働くようになってくると、企業にとって海外事業が重要な問題となってきました。また、マーケットが大きくなりますから、国や地域をまたがるような会社が出てきて、そこで赤字になったりすると、単独決算の時代であったとしても資金援助や借り入れ保証はしなければなりません。このように、海外事業が親会社の経営の土台に影響を及ぼすような規模になってきてしまったのです。また、グローバル化の中で日本が円高下にあり、日本でコスト競争力がなくなってしまったことが出てきて、それを逆輸入の形で海外子会社に生産させてというのが90年代にずいぶんと生じました。そうなると今度はむしろ、本社にとって海外子会社が調達先になってしまい、そこで悪いものを作られると日本での組み立て製品に影響を及ぼしてしまうわけですから、あまり現地に任せてはおけなくなってきたのです。ですから、ローカリゼーション、現地社長比率・現地マネージャー比率などというのは必ずしも昔から段階的に増加してきたというわけではなく、逆に初期のほうが高くて、上記の要因から一度低下し、現在は違う質のローカリゼーションというフェーズにおいて再び上昇させなければならないということになってきているのです。
【グループ経営のスタイル】
■デンソーのグループ経営は2000年度より始まりました。一方他社は皆さん10年くらい前から取り組まれていると思います。ですから、私たちはデンソーが非常に遅れているという感覚があり、一挙にその差を縮めたいという思いでやってきました。早くから取り組んできた企業が、導入はしたものの実状がどうだったのでしょうか?
例えば、連結事業部あるいはグローバル製品別事業部で早いのは松下電器産業ですね。松下は戦前から事業部制をやっていたような会社ですから。しかし、それは日本企業の基本的な流れとは全く異なります。そのような突出した企業ではないところで言えば、東レが1988年頃に世界事業部制として、各事業部が国内だけを見ているのではなくて、世界を見るのだということにしました。しかし、1980年代でそういう組織形態を公式に行っていたのは松下と東レくらいではなかったでしょうか。ソニーの場合は、連結決算という面から言えば早いですけれども、連結事業部制という意識でやっていたかどうかは少し疑問があります。私は日本企業の場合、グローバル経営は1990年代に一斉に始まったという認識をしております。少なくとも海外事業に関し、海外事業部を解体して海外生産子会社あるいは海外販売子会社を製品別事業部にくっつけようという試みはそうだったと思います。国内関係会社についても同じく、このような国内外を貫くグローバルな製品別事業部制の採用というのは、1990年代の半ばです。キャノンの場合も、御手洗社長が連結事業部という発言をしたのが1996年頃からです。したがって、公式な組織としてグローバル製品別事業部制が日本企業で採用されるようになったのは1990年代の半ばですから、デンソーは決して遅くはないと思います。しかし、その問題と実態面で連結経営ができているかという問題とは別です。ソニーの場合、仕組みの面如何に関わらず連結経営が行われていますから。したがって、そこは経営者の資質や、経営者のグローバル性、企業の風土などという部分に対し、組織に代表されるような公式のシステム・制度でグローバル性をもっているかというとソニーもグループ経営が早かったとは言えないと思います。したがって、制度が整っていないから連結経営がうまくいかないというのは、トップ・マネジメントの言い訳にすぎないと言えます。ソニーのように、トップ・マネジメントがグローバルであれば、仕組みがなくてもグローバル経営はできるのです。経営の結果を実態で言うのか、システムや制度の面でいうのかという違いがあるのだと思います。もちろん小さなところでは、早くから実態を伴っていた企業もあります。矢崎総業などがそうです。そして、ソニー以上とも言えるのがミネベアです。
■デンソーの場合はシステムもなければ仕組みもなく、一気に今年からグループ経営を進めました。ただ、それが正解なのかどうかは、実はよくわからない点があります。
そういう点では、デンソーは他社よりもシステム面・仕組みの面で進んでいると言えます。例えば、キャノンの場合は確かに御手洗社長が1996年から連結経営ということを言っていますが、鶴の一声でまず対外的に日本経済新聞などに出てくるのです。では、トップ以下ではどうやっていたかというと、少なくとも2年前まで連結業績を実は手作業でやっていたのです。キャノンでは早くシステム化しなければという声があがっていたくらいです。したがって連結経営をシステムとして作るか、経営者の思想として進めるか、という違いがあるのです。後者の意味では、確かにキャノンは早かったと言えるでしょう。一方、デンソーは3年計画で何をなすべきかを詰めながらやってきたという点で、あまり日本企業的ではない、極めてシステマティックな印象を受けます。私の知る限りでは、デンソーのような試みをしている企業は少ないと思います。むしろ経営者のトップ・マネジメントとしてのグローバル経営、というもののほうがケースとしては多いのです。
■確かに、後発であったが故に体系的でありえたというところがあります。他社でも数年前はシステマティックで始まったけれども何らかの事情でこんな破綻を起こしたとか、方向修正を余儀なくされたといったことがあるか、ということをお聞かせいただきたいです。
そういうことで言えば、どの企業もまだまだなのです。それこそHyperion(連結会計パッケージ)をいれようかどうか迷ったり、導入したもののそれだけではうまくいかず、右往左往している東芝のような企業もあるのです。また、経営計画は連結ベースでできたけれども月次の業績把握はやっと今年からというような企業は数多くあります。そのような企業が大半です。東レでも連結ベースの業績評価が月次でできているかというと、ようやく最近電算化できたというレベルだと思います。ですから、思想の話と仕組みや制度の話では随分と違うのです。デンソーが他社と違うところは、思想よりもまず仕組みやシステムを整備しようとしたところだと私は思います。日本企業の場合は、トップの掛け声ひとつでどんどん走っていくのです。例えば年俸制などは導入したのはいいけれど、あまり拙速に導入してしまったものだから困っているくらいなのですから。
■では、仕組みやシステムから整備しているデンソーのほうが、思想から入った他社よりも日常のマネジメントができるようになるための問題に直面するのが早いかもしれませんね。
そうだと思います。ただ、デンソーの場合は事務部隊が先行しているので、東レやキャノンのような強烈なメッセージ性・求心力はありませんね。そういう点は弱点とも言えます。
【「事業」という軸と「地域」という軸】
■グループ経営を展開する中で、グループ全体のマネジメントを「事業」という軸で整理する方向と、「地域」という軸で整理する方向、そして二つを合わせた「マトリクス経営」があると思います。一時期マトリクス経営が随分と取り上げられましたが、現在はどうなのでしょうか?
企業のおかれている状況によって違うと思いますが、一般論で言えばグローバリゼーションで世界事業部制、グローバル製品別事業部制になるという流れが日本だけではなく、世界にもあるとすれば、それはもう今は事業軸です。ですから、マトリクス経営で有名だったABBがマトリクスをやめたのと同様に、現在いろいろな欧米企業で、従来地域軸を重視していたりマトリクス経営を行っていた企業が、全て地域統括会社を解体して事業軸優先という形に置き換えています。
■それは、「地域統括会社」のようなところを解体する、ということでしょうか。
いいえ。姿が変わるということです。コンサルタント的な権限がなくなるわけではないのですが、損益責任や事業責任は事業軸になっています。元来、組織というものはタテ(事業)にもヨコ(地域)にも責任があるマトリクス関係によって成り立っているものです。ただ、損益責任や売上責任というようなものは、製品軸にしましょうということになってきているということなのです。しかし、ヨコ(地域)の調整がなくなるということではありませんから、ヨコの調整は人事や地域の機能部門が担うわけです。顧客別・製品別・地域別という三次元マトリクス経営を行っているIBMにしてもそうです。製品(事業)軸が基本になるというのは、よほど世の中の環境が変化しない限り主流であると思います。ですから、従来事業軸でやってきたところはそれがどんどん進んでいって、カンパニー制や分社化といった方向に進んでいます。これらは、事業軸と同類のものです。これまでは製品別事業部という色合いが強かったのですが、今後は自主的に管理していく「本来の事業部制」に近づいているのだと思います。
地域との関係は、事業の幅と関係しています。トヨタのように事業の幅が自動車だけというような企業は、やはり事業の括りが製品軸ではなく地域軸になります。製品の幅が広いところはグローバル製品別事業部にして、それぞれ任せなければやっていけません。社長の立場からも、マトリクスなどは範囲が広すぎてやっていられないわけです。一方、製品の幅が非常に小さいところは、機能組織や職能組織のままでは全体の統制がとれませんから、ヨーロッパのことはヨーロッパに任せる、ということになります。もちろん地域統括会社というのは、ヨーロッパ事業部ということを意味します。そういう風に、地域が事業部になっているのです。
■地域が事業部ということは、日本と海外で作っているものは事業が違う、と考えるのでしょうか。
そのとおりです。アメリカ事業部と日本事業部でモノが同じ場合でも、スペックが違う場合というのもあります。
■デンソーは一つのドメインしかないのに、自動車部品というものを無理に分けているとも言えます。地域統括会社と事業部というところが、現在かなりバッティングしているのです。さきほど地域統括会社の解体というお話があって、本社の中枢が誘導しながら、地域統括会社がいわばサービスセンターのような、機能のサービスを提供するところなだということでした。つまり、上から押さえて目標を与え、管理する人たちではない、と。グループ経営を語る前は、地域統括会社は上から押さえている人たちだったきらいがあります。そして今も、人は変わっていないのです。ですから、統括会社は地域の顔ということもあるし、管理上資金を見ているので、何らかの形で地域を牛耳っておかなければならないという、特有の正義感を持っているところがあるのです。そこが非常にやりにくいところなのです。
そのような問題は、進出した国の市場の大きさにもよると思います。例えば、巨大市場のアメリカへデンソーの事業部門の大半が出て行った場合、どうしても一つひとつが大きくなってしまう。一方、タイの中にあるものを全部まとめても、ひとりの人が見ることのできるスコープに収まる。アメリカにおける事業の様々な部分を調整して結論を出すということを、地域統括会社から統括責任をもって本社に対して交渉できるパワーを持つ人といったら、社長に対抗できる副社長クラスでなければなりません。まず事業全体がわかるということ自体が大変なことですし。
■デンソーにおいて地域統括会社は損益の責任がなく、形式上ホールディング・カンパニーにしているため難しいのかもしれませんね。
それなのですよ。日本企業は、なぜかそこにこだわっています。それとは反するものとして、デンソーを例にあげると、アスモの位置付けが面白いですね。デンソーがグループ経営において進んでいるな、と感じるのは、アスモを事業グループと並列にしている点です。日本の企業社会では、子会社を我が社の組織図から消してしまいます。しかし、デンソーの組織図はまさに連結になっています。アメリカの持ち株会社では当然ですが、どういうマーケットにどういうドメインでどういうモノを売っていくか、という絵を書く場合、組織図にそれぞれ子会社・孫会社がくっつきます。ホールディング・カンパニーなどは出てきません。これが我がグループのビジネスの絵です、と言い切れるかどうかの問題で、もちろん公認会計士や税務当局用の説明としてはホールディングなど法的な説明が必要かもしれません。しかし、あくまでそれは連結納税のメリットをとりたいということであって、Report Toの問題とは何の関係もないのです。
また、こんな事例もあります。今まで親事業部と100%子会社との関係で、従来は親事業部長と子会社社長が一対一でやっていたことを、その地域の統括会社に任せるようにした途端、トラブルが生じた例もあります。これまで直接一対一でやっていたのに、間に統括会社が入り込んでくるわけですから、経路が一つ増えるだけです。調整コストが増えますし、意思決定も遅くなります。そうなってくると、地域統括会社を作る意味が曖昧になってきます。欧米企業の場合は節税目的だということではっきりしており、まさに財務的な問題だけであって組織面においては全く関係ありません、という説明をすることが多いのです。そこが日米のカルチャーの違いと言えます。
【グループ経営に魂を】
■グループ経営を語るにあたって、事業と地域という関係の他に、もう一つ本社とグループ会社の関係もなかなか難しいと思うことよくあります。グループ経営における本社とグループ会社の関係はどのようにあるのが良いのか、先生からアドバイスをいただけませんか?
これは非常に難しい問題ですね。仕組みを作っても魂が入らないということはよくありますから。結局、マネジメントのプロセスを管理することをやめることができるか否か、ということに尽きます。まず、日本企業では、「任せる」ということの意味が曖昧です。例えば、日本企業の社長が海外子会社に行ったりすると、そこで社長は「私はみなさんに“任せる”経営をしたいと思います」などと言うことがあります。私は、それを「エンパワーメント(権限委譲)」と訳してはいけないと思っています。社長は「経営を任せない」と言っていると受け取るのが正解です。そう受け取ったほうが、海外子会社の立場からすると正しいのです。松下とMCAとの不和をご存知だと思いますが、日本企業は「任せる」ということを軽軽しく言い過ぎます。「任せる」というのは、任された人が自分で決めていいということです。しかし、日本企業の場合は勝手に決めると怒るのです。上司に報告しろ、相談しろというのです。これは、西欧的な意味では「任せる」とは言いません。「任せない」という意味です。繰り返しますが、報告しろ、相談しろというのは「任せない」という意味です。ここが大問題なのです。日本企業の社長の言葉を翻訳するならば、「私たちは経営を任せません。しかし、提案は大歓迎です。たとえ平社員であろうとも、どんどん上に言いなさい。そしてそれを私たちにもどんどん言ってきなさい。私たちはそれをきちんと検討し、判断します。下から意見が上がってくることはいつでも大歓迎です。どうかこのことを我が社のポリシーとして理解して欲しい」ということです。それを、彼らは「任せる」という言葉で言ってしまうのです。しかし、この「任せる」という言葉を日本人以外が聞くと、「任せるというのは、自分で判断しろということなのだな」と受け取ります。任せるというのは、口を出さないということなのです。「そんなことは聞いていない」、これは禁句です。それを言うなら、任せてはいけないのです。
「任せる」という意味を曖昧にしておくと、いつまでたっても分権化はできません。「欧米はトップダウン」と言うけれど、本当に何でもトップが知っているかというと、細かいことなどトップは知るはずもありません。もちろん全体のビジネスの数値などには精通していますけれども、個別案件などは全然知りません。なぜかというと、それは任せているからです。もし、任せている仕事をトップに相談などした場合、無能だと判断するわけです。任された人は、ただ結果だけ出せばよいのです。トップが知る必要があるのは、任せた事業の結果がどうなっており、その事業を今後どのような方向で進めていくのかということなのです。しかし、日本企業のトップは何でも知りたがるのです。しかも事細かに。これを変えることができなければ、グループ経営に魂は入りません。
■さまざまな話題を転々としてきましたが、最後に先生からグループ経営において最も重要だとお考えになっている点について総括をお願いします。
まずは「約束」。約束はターゲットです。ROAを何%というような目標です。そのための条件として、何億円以下の案件はあなたに任せますというように分権し、そのかわりに何%のROAを達成できますかということを約束させて、あとは駄目だったら交代ということだけです。もちろんそれだけでは単なる丸投げになってしまいますから、監査部隊が出向くなどしてコンプライアンスの問題などを徹底的に調べるわけです。やはり、プロセス管理から結果管理になるということによって、カルチャーが変わります。プロセスの報告がないことにイライラするのも、トップの仕事だと思わなければなりません。そして目標管理制度の中で、目標が達成できそうなのかどうなのかということはその都度報告を受ければいいのです。そして結果が出せそうになければ、その任せた人を換えればいいのです。このことが実行できないならば、どんな制度を作っても駄目でしょう。特に世界と日本の関係、特にM&Aで買ったような会社に対しては、これができなければ駄目なのです。もちろん、報告を求めないというのは非常に難しいことだと思います。親が子供に対して干渉せずに見ているのがつらいのと同じです。子供の不始末を全て親が負うわけですからね。ヘタしたら自分の首が飛ぶという中で、報告を受けないということをどこまで実行できるかということです。つまり、日本企業の場合は、「ほうれんそう(報告・連絡・相談)」という体系をやめることと同義です。これは本当に大変なことだと思います。しかし日本企業のあらゆるレベルで、これまで申し上げたような意識が根付かせること、それが真のグループ経営の実現における最重要課題でしょう。