ロンドンの街中でブラジル女性に道を尋ねられ、うまく説明できずに結局目的地まで数分付き合って歩いたことがある。ところが、このわずかな間にもこの女性は横断歩道で何度も車とニアミスを犯して私をひやひやさせた。左側通行ということは頭ではわかっているのだが、どうしてもつい渡るときに左側を見てしまい、右から来る車に気が付かないのである。道を渡るとき、まず左を見るのは、右側通行の国の人々の習慣である。
日本人は同じ左側通行の国だから問題がないかといえば、そうとも言えない。ロンドンに着いて暫くは、信号が青になって横断歩道を渡るとき、左折車が躊躇なく突っ込んでくるのに肝を冷やした。直進車はよく歩行者に道を譲る寛容さを示してくれるだけに、これには仰天する。左折車には歩行者優先の原則が働かないのである。
海外で生活することによって私たちが知るのは、その国の人々や文化、習慣であるとともに、実は自分の生まれ育った国のことでもある。普段、普通に生活している限り意識することもなかった自分自身の行動パターンも、それとは知らずに日本という国や社会のルール、仕組みを前提にしているのである。
ロンドンの地下鉄車両の中には、「目的地までの切符を持っていないと十ポンドの罰金」という警告が貼ってある。乗り越しは認められないらしい。随分と窮屈な気もするが、なるほど、とりあえず飛び乗ってから行く先を決めてもいいというのは日本の慣習なのか。そう思って見渡すと、落ち着き払って座っている周りの乗客が何か近しい気持ちで眺められるように感じる。
海外で暮らす経験が人生や仕事の上で役に立つとすれば、日本という国を外から眺めることになるからであろう。
Dec. 14, 1997
ロンドンにて 藤 野 哲 也