今年の英国は暖冬である。気温も何十年ぶりかという高いレベルらしい。
ロンドンではこの冬ほとんど手袋が要らなかった。鞄を持つ手が切れるよ
うに冷たくて、ときどき右左持ち替えないと堪らないというあの寒さがほ
とんどないからである。酷寒を予想して日本から持参したマフラーもコー
トの裏に付けるアタッチメントも出番がなかった。おまけに霧もない。晴
れた日が多い。となると、日が短くて暗くて寒くて霧が出て・・・・・・
・ 「 気が滅入るようなロンドンの暗い冬 」 が
全くないのである。先日出張で日本から来た元ロンドン駐在員は明るい空を
見上げて 「 これはロンドンではない 」 と首を振っていた。
とは言え、生活する者にとってはそんなロンドンらしからぬお天気は大変 有り難い。何やかやと言ったって所詮人間は気分で動く。暖かければ研究 も進むし(!)、明るければ行動範囲も延びる。ノイローゼになる可能性 も格段に減少するであろう。寒くなく、明るいロンドンが気に入らないと いうのは変わり者に違いない。
日本も暖冬らしいが、こちらは既に桜も散った。とても樺太北部、カムチ ャッカ半島南部の緯度に生活しているとは考えられない。海流の所為もあ るのであろうが、最近の日本の新聞で桜前線の予想図を見るたびにその落 差に驚いてしまう。
桜前線の落差は今年殊更に大きいのかもしれないが、英国では冬の間も芝 生が枯れないのはもっと大きな驚きである。しかも冬の間中、芝生が枯れ ずに緑であるのは例年のことらしい。ロンドンにはリージェントパークや ケンジントンパークなど有名な公園が沢山あるが、どこへ行っても緑一色 。人々が寝そべり、子供や犬が走り回り、その緑は美しい限りである。勿 論木々は・・・・・常緑樹でない限り・・・・・・・落葉しているのに、 である。
冬も緑なのは何も公園の芝生だけではない。12月に調査でスコットラン ド北部に行ったとき、車窓から見える野山も緑の牧場であったのには驚い た。勿論、木々は冬枯れしているのに、である。一体どういうことなのか 、英国に長い人に聞くと、あれは冬枯れない種類、品種なんだそうである 。
えーっ、それなら日本に輸入すれば冬も芝生は青く、快適にゴルフができ るじゃないかと聞くと、いや、冬枯れない代わりに夏に弱いんだそうであ る。うーん、それで日本のゴルフ場も導入していない訳か・・・・・・半 分納得。あとは滞在を延長して真夏の芝生、牧場を実見してみないとどう も納得がいかない。
冬のスコットランドの車窓から発見したことがもうひとつある。冬も枯れ ない牧草を悠々と食べる羊である。暖冬とは言えスコットランドは雪も降 るし、その日はまた北風が吹きぬける嵐模様でもあった。スコットランド の東海岸沿いを走る線路の向こうは荒れる冬の北海である。折りから冷た い雨も吹きつけていた。線路と北海の間に広がる細長い牧場。そこには黙 々と草を食む羊が・・・・・・・・一匹や二匹のものずきな羊の話ではな い。あちこちに無数の羊が、実に堂々と、嵐模様の空にも砕ける北海の怒 涛の荒波にも我関せず、下を向いてただただ例の緑の牧草を食べていたの である。
羊はか弱い、というのは誰が言い出したのか知らないが、メリーちゃんと 呼ばれれば褒められている訳ではないのは誰でも分かる。メリーちゃんと いえば、あの巨人の渡辺である。20勝投手でエース、横手投げからのシ ュートはセリーグのバッターを苦しめたが、彼の弱点は気が弱いことだっ た。思い切っていけば打たれることはないのに、気が弱くて力が出せない 嫌いがあって「メリーちゃん」と呼ばれた。従って、羊は昔から弱いもの なのである。
しかし、目の前の光景は明らかにそうした既製概念を打ち消している。確 かに羊はおとなしいかもしれないが、本物の羊は物怖じしない。顔はかわ いく、鳴き声は情けないかもしれないが、それは本人の所為ではない。本 物の羊は堂々としている。羊は嵐にも耐えるのである。確かに自己主張は 感じられないが、それはおとなしいのではなく、むしろ鈍感な所為であろ う。
メリーちゃんという称号は自分に忠実な、鈍感なまでに周囲に影響されな い孤高の人に贈られるべきものだったのである。
March 20,1998
ロンドンにて 藤 野 哲 也