パリからルフトハンザの小型機に乗ってベルリンにやって来た。私の方で は特にどのエアラインとは指定しなかったので、旅行会社の方でベルリン =ドイツ=ルフトハンザという連想をしたのであろう。しかし、何故小型 機なのか、不思議な気がした。勿論、客が少ないからであろうが、何故ベ ルリン行きの客がそんなに少ないのか?
答は簡単である。ベルリンはまだ機能的にドイツの首都たり得ず、政治経 済の中心ではないからである。街の中では今、やがてボンなどから移って 来る機能を受け入れるために何ヶ所かで巨大な建設工事が行なわれている 。
ボンから移転して来る国会のための議事堂周辺工事も目立つが、物凄いの は東西ドイツ(東西ベルリン)の境界でのビジネスセンター建設現場であ る。ダイムラーやソニーその他の企業がそれぞれ独自の巨大なビジネスセ ンター(一つのビルではなく、いくつかのビルの複合体)を建設している のでエリア全体も極めて広いが、臨海副都心建設などと違って既存の街の 中心地でやっているので、周囲に与える影響は大きい。
それ以外にも中・小規模な改修工事を至る所でやっていることもあり、道 路はあちこちで通行止め、回れ右で不便なこと極まりない。いずれにせよ 、政治面でも経済面でもまだ準備中であって人の流れは今ならさしづめヨ ーロッパ中央銀行のできたフランクフルト当たりに向かっているのであろ う。
それはさておき、折角の機会なので早速東西ドイツの境界を越えて東ドイ ツ(東ベルリン地区)に入ってみた。境界と言っても、勿論、東西を隔て る壁はかけらも残ってないのであるが、やはりここからが(旧)東ドイツ と聞くと、政治スパイ小説ファンとしては心躍るものがある。ブランデン ブルグ門を越えるとまず、(旧)ソ連大使館がある。大きくてなかなか立 派な建物である。勿論、今はロシア大使館であるが、面白いのは内部にあ ったサウナを一般に公開しているという話である。サウナは相当に大きい 設備らしいが、何故ソ連大使館内部にそんなに大きなサウナがあったのか ?
案内してくれた人によると、何でも彼ら(ロシア人?)は裸の付き合いを 好むのだという。うーむ、それは我が日本の大浴場にも通じる習性かも知 れぬ。しかし何故、職場(大使館)で裸にならなければならないのか? 社会主義政権が崩壊し、東ドイツが無くなったらもう裸の付き合いはやら ないのか? その辺の肝心な所がうまく聞けなかったのは語学力の所 為であろう。
(旧)共産党本部などのあるメイン通りをそれて更に入っていくと、恐し く古く、メンテナンスのされてないみすぼらしい建物がいくつもあった。 連合軍の爆撃やソ連軍の砲撃を免れて残った戦前からの建物であろうが、 それ以来、外装ひとついじってない、という感じのものもある。入り口の 開いていたビルに入ってみたが、ホールは極めて暗く冷やりしていて、物 音ひとつせず、古めかしい鉄製の(?)郵便受けが並んでいた。こういう のは何となく東ベルリンを舞台にしたスパイ小説の描写に出て来そうな雰 囲気である。
もっとも、今はその辺の地区は場所によっては学生や芸術家(?)などが 多く住むエネルギッシュな街なのだそうである。佇まいから見て、家賃が 安く、文無しが集まるという意味であろうか?
10年前ならKGBや東ドイツ秘密警察が活躍していたであろう場所に 立ちながら、時代の変遷ということを意識した一瞬であった。
June 3, 1998
ベルリンにて 藤野哲也