藤野哲也のロンドン・レポート

ロンドン・レポート No.5 「 イギリスのスパイ 」


 不思議なことに、棲みついて1ヶ月もたつと何だかいつのまにか生活が身についてしまって、日々の暮らしの中でびっくりしたり、驚いたりすることがなくなってきた。現地適応が済んだのである。勿論、知らないこと、理解していないことは山ほどあるのだが、暮らしているうちに目 が旅行者のものから生活者のそれに切り替わったのであろう。

 生活者の目になると驚きと共に感動が減ってしまうので面白くないが、落ち着くという意味では落ちつき、態度も自然になる。以前は、店で買い物をしてお金を支払うと店の者が「Cheers.」というのに驚いて、何と言えばよいのかうろたえたりした。Cheers!というのは乾杯の時に言う言葉だと思い込んでいるから、その場ですっと受け入れられないのである。1ヶ月もたてば、理屈はさておき買い物をすれば相手はそう言うのだという現実として理解するようになる。

 そういえば、いつのまにか新聞もすっと読めるようになってきたように思う。さあ読むぞという感じ、努力して向かうのではなく、ぺらぺらとめくっている。日本語のようにはいかないけれど、それでもイメージとしては適当に見出しを流し読みしているのである。

 昨日は面白い記事が載っているのに気がついた。戦時中、英国共産党の委員長の秘書が実はMI 5(英国情報機関)が潜り込ませたスパイだったというのである。機密文書が年月を経て公開されたことで判明したのであるが、英国共産党からモスクワへ送られた秘密情報の大半をMI 5は把握していたというから、これはイギリス情報機関の名誉回復の一打だと思うのに、意外とテレビ等では注目されていない。

 イギリスの情報機関といえば、ソ連のスパイに中枢まで入り込まれていたことがその世界では知れ渡っており、かわいそうにスパイ小説の世界ではフランス小噺の寝取られ男みたいに徹底的にコケにされる役と相場が決まっている。1930年代のケンブリッジ大で共産主義に目覚めたエリートたちが政府の中に入り、やがて出世して何と外務省や情報機関の幹部になっていたのである。有名なマクリーン、バージェス、ブラント、フィルビーらである。

 彼らの素性は結局バレて、1950年代から60年代にかけてソ連へ亡命してしまうのだが、イギリス情報機関が被った打撃は計り知れないものがある。いまだに「その4人以外にもまだいた」云々の話でモグラ叩きにあう人がいるくらいで不名誉この上ないのだが、もしイギリス側もソ連に一泡吹かせていたというなら、名誉も少しは回復されるのに・・・・・・・・・

 その程度のことは当たり前というイギリス側の心意気なのか、あるいはそんなことでは癒せないほど傷は深かったのか。いずれにしてももはやそのソ連は存在しない。世界のスパイ小説愛好家にとって、ソ連の崩壊ほど残念なことはないのである。

 October 11, 1997




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